◆京都駅前校校長 寺下 陽一
今,またここで“国際化”

校友の皆さん,学院に在学中も社会に出てからも「国際化」という言葉をたびたび,もしかするとうんざりする程,聞かされてきたのではないかと思います。ですから,ここにきてまた,「国際化」。「もう結構です」と言いたくなるかもしれません。しかしどうでしょう。今ほど「国際化」という言葉が重く響いてくることは無かったのでないでしょうか。かつて「国際化」は明るい未来を象徴する言葉でした。外国語を修得して海外に進出し,現地の人々と仲良く交流しよう。そして日本の経済を発展させよう,等々でした。

しかし今は「国際化」は重苦しい余韻を持つ言葉に変わりつつあります。「国際化」は政治的な確執,経済的な摩擦に振り回される国際情勢を象徴する言葉になってきました。「国際化」は「友好」,「平和」,「協調」といったイメージから,「対決」,「混乱」,「競争」というイメージに転換しつつあります。「もう国際化はいやだ」という声も聞こえそうですが,そういうわけにもいきません。この複雑怪奇な国際情勢から日本だけ逃げるわけにはいかないのです。「国際問題は政府にまかせておけばよい」という意見もあるでしょうが,最近の在中国の日本企業を襲った災難の様に,現場では企業自体が直接対応しなければならないことも明確になりました。

校友の皆さんは,社会人として,また企業人として,このような国際情勢にどう対処すべきでしょうか。すなわち,これからの「国際化」はどうあるべきでしょうか。一番重要なことは,日本を知る,日本人を知る,特に,日本の歴史を知ることだと私は思います。第二次世界大戦の終了後,日本の知識層(特に学校の先生)は日本の歴史を語ることが少なくなりました。ここでいう歴史とは諸外国との交渉に関連した歴史です。平清盛,織田信長,坂本竜馬も歴史の一部ですがどちらかというとマイナーな部分だと思います。古代に日本と周辺諸国とはどういう関係にあったか(これについてははっきりしないことも多く,学者の言うこともまちまちですが)。中世ではどうであったか。明治維新後の日本が諸外国とどう付き合ってきたか,昭和に入っての日本の対外政策はどうであったか。第二次世界大戦後にはどうなったか。このあたりの歴史事実については事件が羅列されるだけでその詳細,背後にある本質部分についての記述は,歴史の授業では殆ど聞くことが出来なかった,また現在でもそうであるようです。また,この近代・現代史については政治思想などに起因する偏見が入り易いため,自信を持って授業を行う歴史の先生が少ないのも一つの原因でないかと思います。(残念ながら現代では歴史というものを学問として,すなわち歴史学の対象として認識することが非常に難しくなっていることは否めません。)

それなら,私たちはどのようにして歴史を知ることができるのでしょうか?上に書きましたように,学校の授業等に頼ることが出来ないのが現状です。しかし,幸いなことに言論の自由が保障されている現在の日本では,近代・現代史に関する書物は沢山出版されていますので,知識を得ることは可能なのです。ただし,このようにして得られる(場合によっては“雑多”な)知識から本当の知識を得るにはどうしたらよいのでしょうか。これは本当に難しい問題で,こうすればよいと言う特別な方法はありませんが,冷徹な洞察力,安易な宣伝に動揺しない自分自身の分析力,といったことが基本になるのは間違いないようです。

現在,日本が苦労している殆ど全ての外交問題,政治問題は近代・現代史を知らずして理解することが出来ないのです。そして,校友の皆さんは社会人,企業人として確かな「歴史の目」を持つことにより,日本の指導者に対する適切な批判眼を持ち,また国際交流・国際摩擦の現場で的確な判断が出来るのではないかと思います。

これからの「国際化」は,以前の様に楽観的なものでなく,極めて厳しい現実を対象とするものです。語学に精通することも必要ですが,それよりも日本を知る,日本の歴史を知るということがもっと重要になります。語学の勉強には,会話教室みたいに授業料を出せば一応の成果は期待できる手段もありますが,歴史の勉強については,残念ながらその様に便利なものはありません。自分で勉強し,正確な分析に立って自分の歴史観・世界観を作らねばならないのです。校友の皆さんの一層の奮励を期待します。

校友の中には多くの外国籍の人もいますね。このメッセージは日本人校友を対象としたものですが,外国籍の校友もこの小文の一部の単語を置き換えれば,個々の立場において私の意図を十分理解して貰えるのではないかと信じます。